はじめに

世界保健機構は、21世紀における健康の概念について、「病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にある」と定義しています。既に成熟期に達した我が国において、健康上最も重要な課題は「精神的な満足」、言い換えれば「こころの健康の保持・増進」をいかに支えていくかという点にあると考えられます。
しかしながら、年間の自殺者が三万人を超える本邦の社会状況を考えると、精神医療・保健・福祉は十分なものとはなっておらず、児童、思春期、成人、老人にいたる様々なライフステージで精神的な問題に多数の人々が病んでいるのが現状です。「こころの健康の保持・増進」は人手に頼る作業であり、高い専門性の求められる仕事であることを鑑みれば、優秀なマンパワーの確保がなくして達成できないと考えられる。滋賀県は、人口あたり全国一精神科病床数が少なく、精神科診療所数も低位にあるため、ハード面での不足を様々な工夫により対応してきましたが、個々の努力と頑張りにも限界はあります。
また、滋賀県の精神科医療・福祉において深刻な問題点は、人口当たりの精神科医師、特に精神保健指定医数の最も少ない点です。また、最近の精神科需要の動向を考えると、発達障害など従来見られなかった思春期における精神科需要の増加と対応について早急に対策を行う必要があります。
この様な状況に基づき、嘉田由紀子滋賀県知事の申し出により地域精神医療学講座は作られました。これは、滋賀県内において安定的に精神保健指定医を確保するシステムを研究するとともに、県内核指定病院に医師を確保するための仕組みを構築し、滋賀県において安全で安心な医療の提供と地域住民の福祉の増進に寄与するために作られた寄付講座です。
精神保健指定医の確保、児童思春期の精神医学研究、措置診察のあり方、等を含めた包括的な精神医療の研究を行い、滋賀県民の精神保健福祉に貢献することを重要な役割としています。

滋賀医科大学地域精神医療学講座 教授 山田尚登

地域精神医療学講座へようこそ

 滋賀医科大学地域精神医療学講座は平成22年10月に誕生した新しい講座です。日本で最も精神科医の少ない県の一つである滋賀県において、いかに精神医療を充実させるのか。そのシステムを研究し構築するためにこの講座はできました。大学として果たすべき役割として、研究、教育、臨床の3部門が語られることが多いですが、滋賀医科大学地域精神医療学講座はこの臨床の発展に焦点を当てて、残りの研究、教育に当たることになります。

 地域医療を発展させるためには、それをになう人材の確保が必須になります。皆さんが精神科医を志し自らの進路を決める時、最も重視するのは、「自分がそこに行って良い精神科医になれるのかどうか」ではないでしょうか。従って最も我々が注力すべきは教育であろうと考えました。良い教育のためには、良い臨床が必須となります。
 滋賀医科大学精神科には日本に誇るものがいくつかあります。

  1. 修正型電気けいれん療法

    年間約500件の修正型電気けいれん療法施行数を誇り、特に気分障害の治癒率が非常に高いのが我々の臨床の特徴の一つになっています。

  2. 睡眠ユニット

    年間約200件のポリソムノグラフィー施行数を中心に、MSLTなど日本随一の睡眠解析機能を持っています。睡眠障害は非常にCommonなものであり、様々な精神疾患に対する悪影響が指摘されています。一方で適切な対応がなかなかなされていないのも睡眠障害の特徴であり、その対応能力の高さは我々の臨床の特徴の一つになっています。

  3. 合併症入院

    重篤な身体合併症を有しながら精神疾患も重篤であるためになかなか一般病棟での管理が難しい患者がいます。そういった患者に対する対応も我々の役割の一つです。合併症を有する措置入院の受け入れもしており、大学病院で精神保健指定医がとれる数少ない病院になっています。

 これらの特徴を背景に、入院患者の多くがGAF30以下の重症な患者であるにもかかわらず、平成21年の統計では平均在院日数23.8日と、日本で最も平均在院日数の短い病院の一つになっています。

 しかし、これで満足しないのが我々です。地域精神医療学講座では以下の取り組みを通して更に臨床の向上を目指します。

  1. 思春期青年期ユニット

    気分障害は思春期青年期から急激に発症率が上昇し、しかも様々な合併症を併発することがわかっています。滋賀県はそもそも児童精神科医が非常に少ない県です。我々は思春期青年期に焦点を当てた臨床を展開し、臨床の幅の拡大を図ります。

  2. 認知行動療法研修センター

    認知行動療法の有効性に関する知見は集積されつつあり、書籍やメディア、インターネット等を通じて日々認知行動療法についての情報が氾濫しています。しかし我が国の精神科医療の現場において、認知行動療法はほとんど普及していない実情があり、また、認知行動療法を研修教育していく専門機関も存在しません。
    認知行動療法に必要な知識や技術の伝達を行うための講義と訓練を行う研修センターを設立し、また我が国においてどのような研修を行うことが認知行動療法の普及の上で望ましいのかを明らかにしていく研究を行います。

 良い臨床のためには研究が必須になります。詳しい研究の内容はその紹介ページをご参照下さい。皆さんが臨床をしていくなかで、必ずぶち当たる疑問があります。その疑問をどんどん研究して解決していって下さい。我々は研究の内容を指図したりはしません。(もちろん協力を要請することはありますが)研究は皆さんの自由な選択の中ですることができます。

 皆さんと一緒に働ける日が来ることを祈っています。

滋賀医科大学地域精神医療学講座特任助教
精神科 外来医長 稲垣貴彦

本講座設置の目的

  1. 精神保健指定医などの確保システムの研究

    滋賀県内において精神保健指定医が少ない原因を検討し、更に、その結果に基づき、滋賀医科大学を含めた滋賀県内の精神病院・診療所などを魅力あるものにするために広報活動も含め戦略を立てる。

  2. 精神保健指定医などの確保に関する実態調査・分析に関する研究

    学生・研修医・実際に勤務する医師にアンケート調査を施行し、魅力ある精神科医療にするための調査研究・分析を行う。

  3. 滋賀県の実情に応じた児童思春期精神医学に関する研究

    本県において児童思春期を活動対象とする精神科医はほとんどいない。本領域は、精神科を目指す学生・研修医が強く関心を示す領域の一つであり、また本県で必要とされている精神科の診療領域の一つである。滋賀県立精神医療センターと連携を取りながら、本県における児童思春期の精神医療を充実させていく。さらに、滋賀県教育委員会と連携し、児童思春期の予防的・包括的な医療に取り組む。

  4. 滋賀県における措置診察などのあり方に関する研究

    精神科医不足のため、精神保健福祉法に基づく指定医による措置診察を行う際、診察医を捜すのに困難があることが多々見られた。本事業により、医師増加、指定医増加が見込まれ、地域医療行政にこれまでより積極的に参加できる。また、措置診察のあり方に関しても検討を行う。

  5. 指定病院が持続的に医師を確保できる仕組みの構築

    滋賀医科大学精神医学講座への入局者を増加し、指定病院に医師を派遣することによって、滋賀県全体の医師不足の改善につながる。