はじめに

 South London & Maudsley NHS Foundation Trust (SLaM) はモーズレー病院とベスレム病院という、長い歴史のある精神科病院をもとに、NHSの変遷とともに再編成された組織である。ロンドン南西部の4つの区(ランベス、サザック、ルイシャム、クロイドン)の精神保健ならびに薬物依存医療、および隣接するベクスリ−、グレニッジ、ブロムリーの薬物依存医療を担当している。モーズレー病院、ベスレム病院は共に世界最古の精神病院の一つであり、その歴史は1247年に溯る。モーズレー病院に隣接して、精神科領域の研究では世界でトップクラスの精神保健研究所があるため、世界各国から臨床家や研究者が集まってきて、先駆的な基礎・臨床研究が盛んである。

 日本では、アスペルガー症候群を世界に紹介した、自閉症スペクトラム概念の創始者であるローナ・ウイングが所属していたことで有名であろう。児童青年期精神医学分野における教育プログラムとしては世界最高峰と言われるロンドン大学児童青年精神医学専門研修プログラムの中で臨床研修施設として機能しており、臨床研究のみならず教育機関としてのレベルも高い。

 地域精神医療学講座では児童思春期分野の医療体制構築を主要な目標の一つに掲げている。昨年に引き続き、私は世界最高峰とも言われるSLaMの児童思春期ユニット、CAMHSの視察を行った。

 

目的

  1. イングランドにおける最先端の児童思春期の精神医療を視察し、日本に持ち帰り実践する。
  2. 意欲ある若い研修医を積極的にイギリスに派遣できるようにパイプを構築する。
  3. 新規後期研修医である眞田陸先生のモーズレー病院研修引率

 

日程

3月26日
Snowsfield Ward(病棟)カンファレンス参加
Dr. Gordana Milavic(CAMHS医長)との会談
摂食障害、境界性パーソナリティ障害の患者の診察陪席
3月27日
Conduct, Adoption & Fostering Team の診察陪席
3月28日
Snowsfield Pre-Ward Round(病棟回診)に陪席
Children`s Dept. Meeting に参加。(BPNOSに関する講演)
3月29日
Mood Disorders Serviceのカンファレンスに参加。
同アセスメントセッションに陪席
3月30日
Eating Disorders Serviceの診察に陪席。
4月2日
Snowsfield Ward(病棟)カンファレンスに参加
Eating Disorder Serviceのアセスメントセッションに陪席
4月3日
Autism & Related Disorders Serviceのカンファレンスに参加
同アセスメントセッションに陪席
4月4日
Snowsfield Pre-Ward Round(病棟回診)に陪席
Maudsley Centre for Interventional Paediatric PharmacologyのDr. Santoshと会談
Dialectical Behaviour Therapy Servise(DBTチーム)のセッションに陪席
CAMHS新医長のDr, Bruce Clarkと会談
4月5日
Foresic Serviceのアセスメントセッションに陪席
Closed Meeting

 

成果報告

 今回の視察において特に印象的であった点について紹介し成果報告とする。

 診察室で患者は笑っており、家族も笑っている。診察室の中はアットホームな雰囲気で満たされており、自分の病気が回復することを医師も含め誰も疑っていない。
 日本ではどうであろうか。多くの場合、患者は「本当にこの医者は私を治してくれるのか?」という疑いの目で我々を見ている。先日あった日本精神神経学会認定専門医の試験で、患者面接のロールプレイでも「私は治るんですか?本当に治るんですか?本当の本当に治るんですか?」と詰め寄る患者にどう対応するか、という問題があったのだが、そんなシチュエーションは基本的にあり得ない。これについて解説しよう。
 まず、イギリスの精神医療は層構造をなしている。GPからCAMHSの各ユニットに紹介され、さらに必要のある場合だけAutismのユニットに紹介される。

 早い段階でコンサルテーションが行われるので、まず患者は比較的軽症の段階で既に受診につながっている。さらに綿密なアセスメントセッション(実に3週にわたって合計最低でも3時間程度、長ければ6時間がアセスメントに費やされる)によって、丁寧に診断がなされ、その治療方針もエビデンスに基づく最も効果の高いであろう治療から優先的に行われており、効率も良く、実際患者は速やかに良くなる。これは広く社会にも認知されていて患者は精神科を受診することに抵抗はないし、その治療にも信頼感を持っている。
 日本ではどうであろうか。例えば摂食障害。多くの場合、最初にかかるのは小児科医である。その小児科医は精神科医にコンサルトするであろうか。しない。どうにもならなくなってから、あるいは小児科の対応年齢を外れてからでないと彼らは精神科医にコンサルトしようとしない。患者はどうか。相変わらず精神科の敷居は高い。そして多くの患者は、「もう治らない。でも楽にはなりたい」という感じで受診している。軽い段階で受診するのはごくまれで、子どもであれば不登校や家庭内暴力と言った二次的な障害が出現してから初めて受診してくる。
 これから言えるのは、「精神科医は、社会からも他科の医師からも信頼されていない」という悲しい事実である。受診したときの重症度が高いから治りにくくて信頼感が損なわれるというわけでは決してない。これは例えば、うつ病の受診率が急激に近年増えているのに、自殺率はいっこうに改善を見せないことからも言えるだろう。実際精神科医の治療能力は日本では少なくともイギリスと比べて著しく低いのが現状である。
 改善するにはどうすればいいか。私は、まず我々が患者を治すことから始めるべきだと考えている。前回の視察でも述べたことであるが、イギリスの精神医療は徹底した標準化がなされていて、ある医師だと治せるのに、ある医師だと治せないと言うことは基本的にない。それは分厚い信頼感になって国民をふんわりと取り巻いている。
 治療がうまくいかなかったケースを一例だけ見たが、そのケースでは日本同様、患者は猜疑心を前面に出していた。つまりイギリスの患者のフレンドリーさは決して国民性ではなく、医療に対する信頼によるのであって、それが裏切られれば日本同様のリアクションを彼らもすると言うことである。
 信頼回復が日本の精神医療には必要である。

 

地域精神医療学講座の今後に向けて

精神科医確保に向けて

  1. モーズレー病院との協力関係の維持
     今回、新規後期研修医の眞田陸先生を引率してのモーズレー病院研修であった。別に彼の報告を記載するが、きわめて刺激的な経験が得られているように感じられる。
     モーズレー病院との協力関係を維持し、定期的に研修医を派遣することができるような体制を整えることができれば、後期研修施設としての滋賀医科大学精神科神経科の存在を強く研修医や学生にアピールすることができ、ひいては滋賀県の精神科医確保につながる。
  2. 認知行動療法研修センターの設立
     認知行動療法は世界的に注目を浴びている精神療法の一つであり、確かな臨床実績がある。イギリスでは認知行動療法は一般的な治療であり、それが精神医療の土台を形成している。しかしながら、日本国内で認知行動療法を専門的にトレーニングできる機関は少ない。従ってこれを我々が設立することができれば、後期研修施設としての滋賀医科大学精神科神経科の存在を強く研修医や学生にアピールすることができ、ひいては滋賀県の精神科医確保につながる。昨年から企画しているこの計画であるが、別に記載した通り、今年度はワークショップの形で実施し、本年度から本格的に起動できる見通しである。

児童思春期精神医学分野の拡充に向けて

 地域精神医療学講座の構成員のうち、児童思春期精神医学分野を担当するのは、主に稲垣、田中の2人であるが、田中は認知行動療法関連の学会でシンポジストを勤めるレベルの専門家であり、少なくとも滋賀医科大学附属病院においては必要十分な医療が展開できると考えている。
 課題は前述の精神科医確保にむけて、教育システムをいかに確立するかであろう。
 今年度から、眞田陸先生が後期研修医として我々の輪に参入する。彼に対する教育ももちろんであるが、現在手薄な滋賀県内全体的に手薄な摂食障害に対するアプローチも検討する。

 

おわりに

 今回の視察中の私のスケジュールをコーディネートして下さった下記の方々に感謝する。

前医長のミラビッチ先生

新医長のクラーク先生

その秘書のケネディさん