はじめに

 2012年3月末日をもって、初期医師臨床研修を終えて、滋賀医科大学精神医学講座に入局し後期研修医として勤務することになった。滋賀医科大学精神医学講座および地域精神医療学講座は、滋賀県の精神科医確保のため近年後期研修医の確保に努めている。今回、研修医であった私が滋賀医科大学精神科に入局する動機となり、滋賀県での精神医療に従事すると決意した際の、きっかけの一つとなったのが今回のイギリス・ロンドンにおける研修の機会を与えていただいたことである。というのも、私は将来的には特に児童思春期の精神医療に従事したいと考えており、滋賀県の児童思春期専門の精神科医は少なく、いわんや日本全国においても児童思春期の精神医療をトレーニングする病院は数も少ない。そういった中で、児童思春期精神医療において世界トップクラスの病院でどのような精神医療、専門家の研修がおこなわれているか、直接見学できたことは私にとって生涯の貴重な体験であったとともに、その機会を与えてくださった方々に深く感謝している。
 研修させていただいた病院はSouth London & Maudsley NHS Foundation Trust (SLaM) はモーズレー病院とベスレム病院という、長い歴史のある精神科病院で、NHSの変遷とともに再編成された組織である。日本では、アスペルガー症候群を世界に紹介した、自閉症スペクトラム概念の創始者であるローナ・ウイングが所属していたことで有名である。児童青年期精神医学分野における教育プログラムとしては世界最高峰と言われるロンドン大学児童青年精神医学専門研修プログラムの中で臨床研修施設として機能しており、臨床研究のみならず教育機関としてのレベルも高い。
 今回私は、研修医を終えた後、滋賀県のそして日本の精神科医療に従事する前に、世界最高峰の児童思春期精神医療を体験し、以後の精神科医としての人生および働きに活かし滋賀県の児童思春期の患者さんのために経験を活かしていきたいという目的があった。また、滋賀医科大学の後期研修医になれば、そういった世界最高峰の精神医療に窓口があり、高いレベルの研修を行えることを初期研修医や学生にアピールすることで、滋賀県の精神科医確保の一助とならんことを期待している。

 

視察施設

モーズレー病院 マイケルルーターセンター

モーズレー病院正面玄関

モーズレー病院内部廊下

ベスレム病院思春期病棟タイソンハウス

ベスレム病院思春期病棟タイソンハウス

ベスレム病院正面玄関

 

プログラム

4月2日
午前:オリエンテーション及び思春期病棟スノウフィールドにおける病棟カンファレンス見学
午後:摂食障害患者診察後アセスメントセッション面接見学
4月3日
午前:自閉症スペクトラム関連サービス面接診断見学
午後:発達生涯に関する神経精神医学・神経心理学サービス
   親に対する心理教育面接見学
4月4日
午前:スノウフィールド 思春期摂政障害患者診察見学
   不安障害患者 面接
午後:小児に対する薬物治療のミニレクチャー
   弁証法的行動療法 患者と同席
   モーズレー病院児童思春期医療ユニット最高責任者
   モーズレー病院児童思春期精神医療ユニット最高責任者Dr.Bruce Clarkとの面談
4月5日
午前:犯罪精神医療サービス
   家庭内暴力・学校での武器を使った暴力行為を行う少年の面接
午後:前モーズレー病院児童思春期精神医療ユニット最高責任者
   Dr.Gordane Milavicとの面談
4月10日
午前:自閉症スペクトラムサービスチーム 14歳少女の面接診断
午後:Dr.Dennis Ougrin対談
4月11日
午前:ベスレム病院 思春期病棟見学
午後:成人病棟責任者 Dr. James Forrester対談
4月12日
午前:強迫性障害チーム ミニレクチャー、面接、診断
午後:Conduct, Adoption&Fostering Team
4月13日
午前:海外から研修に来た心理士との対談

 

成果報告

 今回の視察において特に印象的であった点について紹介し成果報告とする。
 前回2012年3月の同施設での研修後に、滋賀医科大学地域精神医療学講座助教 稲垣先生による報告がなされた内容を踏まえ、2013年4月の訪問で初期臨床医師研修終了後の後期研修医という私の立場から、新たな切り口での成果報告とさせていただく。

 

治療構造が患者を中心に多職種が横並びの連携をとっている

 具体的にはカンファレンス時に多職種が参加し、医師・心理士・看護師・社会福祉士・場合によっては親・学校教師が、それぞれのプロフェッショナルとしての意見をはっきり述べ、活発に議論する。議論の中心は、主役である患者である。そして、コミュニケーションは一方向の伝達様式ではなく、双方向の意思疎通が自然と行われていた。例えば、滋賀医科大学精神科では、カンファレンスは医師が大多数であり、看護師長一人、心理士一人といった構成であるが、数の優位からして医師の意見が通りやすい印象がある。また、本邦では心理士は国家資格を持っていないため、医師・看護師・社会福祉士と比較し、社会的なバックアップが少なく、横並びのチームワークが取りにくい原因のひとつと予想される。そのため、本邦および滋賀医科大学精神科でのカンファレンスでは、たとえ患者のことについて議論していくことが可能であっても、医師から看護師、心理士、社会福祉士への上意下達の指示体系となっている印象が強い。これは、日本の医療システム上いたしかたないかもしれないが、それを踏まえたうえでモーズレーの精神科医にどうすればカンファで多職種の意見が横並びに反映されるのか質問したところ、1)一つのカンファレンスも成るべく少人数制にし、目的ごとに何チームかに分ける。(モーズレーでは医師1人に対して心理士2人、看護師2人、その他の職種は2人程度)、2)席を円形にし顔と顔が向き合うように工夫する、等、具体的なアドバイスをいただいた。また、これは国民性にかかわる可能性があるが、イギリスでは個々の意見が尊重され、またそれゆえに個々の意見が求められる。そのため、それぞれの職種のプロフェッショナリティが高く、カンファレンスの場では自分の意見を述べることを躊躇せず、その意見を述べるための準備を十分にしていた印象があった。
 以上より、本邦および滋賀医科大学付属病院精神科で行われているスタッフ間のコミュニケーション形態やカンファレンスの形態には大きな相違がある。どちらが優れているかという議論をするためには、イギリスでの滞在時間や日本の精神医療に従事した時間が短かったため困難ではあるが、その相違により患者さんへのフィードバックがどちらが多いか比較する価値はあると考えられる。今後、私が日本の精神医療を当施設で行うにあったって念頭におきながら日々のスタッフ間のコミュニケーションおよびカンファレンスに臨んでいきたいと考える資源になった。

 

診断が慎重に行われて、かつ診断のあとの患者や家族への説明が豊富

 例を挙げると、自閉症件の診断が行われるまでに、困難を感じた本人もしくは家族が地域の家庭医(GP)に受診→地域の基幹病院→モーズレー病院の小児一般精神疾患の各チーム→自閉症圏チーム、といった順に紹介される。それぞれの機関で詳細な問診と診察が行われて、治療可能な他の精神疾患がないかルールアウトされる。そして最終的に専門のチームに紹介される時には他の疾患がおおよそすべてルールアウトされ、純粋な自閉症圏の患者が紹介されてくるため、診断までに多くの時間と労力が費やされている。そのため、誤診率が低く児童精神疾患の約1%が自閉症圏の診断となり、世界の他の国の統計と同等の結果となっている。一方日本では、イギリスにおけるGPのように精神疾患を診断治療できる一般開業医は少なく、直接地域の基幹病院の精神科に患者が紹介される。また、地域の基幹病院でも診断に迷った際、さらに紹介する先のナショナルセンター(本邦では東京の多摩医療センター、国府台病院等)との連携も薄く、そのため他の治療が必要な精神疾患が完全にルールアウトされなかったり、専門医でない精神科医が診断しなくてはならない環境が生じ、誤診率が高まる可能性が懸念される。そのためか、児童精神医療の全国的学会レベルであっても、自閉症圏の診断が全体の約2%かそれ以上といった統計結果となり、全世界の約1%と比較し多くなっている。日本だけが他国より自閉症圏の患者が多いと考えられなくもないが、日本において他の精神疾患を自閉症圏の疾患と誤診することが多いため、統計上の数値が過剰になっていると考えた方が自然である。
 モーズレー病院では、診断が決まったあと、患者や家族に説明する時間を十分にとっていた。少なくとも30分から1時間程度、疾患についての説明や患者や家族が何に困っていてどう解決していくかということに焦点をあてながら、かつ患者や家族の心理的配慮を十分にしながら行われていた。その具体的な説明のための面接手法は、心理教育といった方法で、患者の治療効果を高めるこっとがエビデンスで示されたものであった。滋賀医科大学精神科では、患者の診察時間は診察診断説明を全て含んで、初診で約1時間から長くても2時間弱しかとることができず、時間的猶予がないことを考慮しても、診断の後の患者や家族への説明に、心理教育というエビデンスのある手法を行っている医師は限られており、標準的に行われているとは言い難い。日本全土においても、心理教育が徐々に普及しているとはいえ、どの医師が説明しても同じように心理教育が行われるほど標準化しているとはいえない。時間的猶予もなく、心理教育が標準化してもいないため、診断の後に患者や家族に十分に説明ができているとは言い難い状況にある。
 以上より、本邦においても診断までの医療体制や時間と労力の確保が必要であり、診断後の説明においても、標準的に心理教育を行うよう改善していく必要があることが求められる。

 

モーズレー病院では人材が豊富

 今回の研修を通して感じたのは、一人の患者に対してかける時間が多いということも挙げられるが、スタッフの数も多いということも強調したい。もちろんモーズレー病院はイギリスのナショナルセンターであるため、地域の基幹病院である滋賀医科大学精神科と比較するより、日本のナショナルセンターで代表的な国立精神神経センターと比較するべきであるが、滋賀医科大学地域精神医療学講座は、今後もさらなる人材確保を目標としているため、学ぶところは多いと考えたためあえて取り上げたい。
 小児思春期精神科ユニットだけで精神科医は50人程度、心理士はそれ以上であり、一人の患者に対して一回の診断診察に2~3人の精神科医と3~4人の心理士が同席していたことが多かった。それだけの人材確保ができる要因としては、1)人件費にゆとりがある、2)常勤のスタッフが各国から集まってくる、3)精神科医・心理士の研修生を多く受け入れている、といったことが予想される。1)に関しては、ナショナルセンターゆえのバックグラウンドの影響があるため、今回の議論ではくわしくはふれない。2)3)に関しては、当施設でも参考にできるところであり、現に滋賀医科大学精神科では他国から来た常勤スタッフが勤務し始めたり、今後も勤務できる機会と環境を整えようとしている。また、研修生に関しては、滋賀医科大学病院の研修医のみならず、全国からの公募も行っており、本年度は1名入局者がいる。そして、地域精神医療学講座では精神科医のみならず、心理士の研修受け入れのための環境を整えようとしている。それにあったって、モーズレー病院が多くの人材を確保しつづけている魅力や理由を考察してみる。1)臨床のみならず研究・教育にも力を入れている、2)門戸を世界に開くために、国際学会への出席や発表、研究成果の普及活動に力をいれている、ことが主に挙げられる。
 1)に関して詳しく述べると、臨床においてはエビデンスのある治療を標準的に行っており、治療のための選択肢が多い。その背景には、先にも述べた正しい診断までのプロセスが十分にとられており、診断された患者さんにとって最善の治療を行うというスタッフのコンセンサスがある。治療法はそれぞれの患者に合わせて選択できるよう、エビデンスのある治療法を多岐にわたって取り揃えており、アクセスもスムーズにできるようスタッフ間のコミュニケーションも豊富である。そして、その治療法で間違っていないか検証するために、臨床研究がさかんに行われているとともに、エビデンスの少ない治療法も患者にとって効果的であると予想される治療法の新たな有効なエビデンスを確立するための研究も行われている。教育に関しては、各国から来た研修生に対して、それぞれのニーズに合わせながらプログラムを組むように、初期受け入れ対応をする事務職レベルでの相談、アレンジができる体制がある。そして、比較的長期の滞在ができる研修生に対して、専門的な教育行えるよう専門性の高い指導医の数が多く、指導医自身の向上心や指導意欲が旺盛である。
 2)に関して詳しく述べる。具体的には本邦においても、モーズレー病院児童思春期ユニット前最高責任者であった、ミラビッチ先生の来日教育講演が2011年に九州大学主催で行われた。そこに私も出席したが、モーズレー病院ではどのような臨床・研究成果があり、専門的な研修システムがあるかということがミラビッチ先生自ら語られた。このほかにも、世界各国での活動が行われている。
 以上1)2)については、モーズレー病院児童思春期精神科ユニット現最高責任者のクラーク先生と面談させていただいた際に、私が「モーズレー病院が現在児童思春期精神医学において世界トップクラスであると有名であるが、さらに改善してくためにどのようなことをお考えですか?」という質問をさせていただいたときに、「さらに研究と教育に力を入れ、国際的に成果の発表と普及の機会を持てるよう努力したい。」というお答えをいただいたことでも象徴される。

 

病院全体があたたかい雰囲気につつまれている

 抽象的な表現となってしまったが、患者とスタッフ間の関係が良好であったり、患者の治療予後がよい影響もあってか、診察室における面接場面でユーモアやジョークが交えられたり、診断や説明の後でさえも患者や家族が笑顔でいた印象が強い。その結果、上記のような雰囲気が作り上げられていることが予想される。その理由としては、先の①~③で述べたことが密接に関わっており、患者とスタッフ間の関係が良好+正しい診断と適切な治療が選択される+それにより患者の治療が上手くいく+その過程で結果に対して科学的な検証が行われる+その過程で新たな専門家の育成が行われる+そして成果を国内国外に向けて発信する+その結果モーズレー病院への患者からの信頼やモーズレー病院のスタッフへの信頼が高まる+患者が早期に受診しより治療導入が促進される、といった好循環がうまれている。比較すると日本の精神医療において、患者さんの数が多く診察室での面接時間が短くなってしまい、誤診や不適切な治療が増え、患者とスタッフ間の関係が崩れる、その結果患者の精神科医療機関の受診が遅くなり疾患が重症化する、そして重症がゆえにさらに治療が困難となり治療が完了しない患者さんののべ人数がふえる、患者さんののべ人数が増えるとさらに診察時間や診断にかけられる時間が減る、といった悪循環が生まれていることも予想される。今後滋賀医科大学精神科においても、日本の精神医療全体においても、この予想される悪循環を断ち切るための何らかの対策と行動が必要とされる際、前述したモーズレー病院での好循環から学ぶことは多いと考えられる。

 

地域精神医療学講座の今後に向けて(後期研修医の立場から)

今回のモーズレー病院訪問について成果発表

 滋賀医科大学地域精神医学講座は昨年度に続き滋賀県における精神科医の人材確保に力を入れており、その一環として後期研修医である私にモーズレー病院での研修機会を与えられた。その成果を、滋賀医科大学初期研修医や学生にアピールすることで、後期研修を滋賀医科大学精神科・地域精神医療学講座で行いたいと希望を抱かせ、新しい人材確保の一助としていく。具体的には、初期研修医や学生が手軽にアクセスできるインターネットを通じて発信したり、滋賀医科大学精神科を選択してローテートしている研修医や臨床実習で訪れる学生に直接話して伝える。また、本年度秋に開催される近畿精神医学会において、モーズレー病院訪問についての成果発表を予定している。

 

今後のモーズレー病院での研修の維持

 先述した①で述べたことが行われた結果、興味をもった初期研修医や学生が滋賀医科大学精神後期研修医となった際に、モーズレー病院での研修を行うことができるよう、モーズレー病院との良好な関係を維持していくと同時に、経済的なバックアップを期待し滋賀医科大学地域精神医学講座の適切な運営と寄付助成金をいただいている滋賀県との連携を深めていく。そのために、モーズレー病院からの研修生を滋賀医科大学精神科・地域精神医学講座に受け入れる体制を整えたり、地域精神医学講座の運営目的の一つである滋賀県における児童思春期精神医療の発展のため、まずは私自身がよき精神科医となるよう日々尽力するとともに、モーズレー病院の訪問で得た体験を臨床・研究・教育・発表に活かしていく。そして、滋賀県の地域精神医療に成果を還元していく予定である。

 

おわりに

 今回の視察中の私のスケジュールをコーディネートして下さったモーズレー病院の下記の方々、および後期研修医である私に渡英研修の機会を与えてくださった滋賀県の県民の方々・県知事県職員の方々、滋賀医科大学精神科・地域精神医学講座に感謝する。

医長のクラーク先生

秘書のケネディさん